重信房子の現在は癌治療をしながら服役中!日本赤軍は父親の影響だった

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アメリカの国務省からも「国際テロ組織」と認定されていた「日本赤軍」。その最高幹部として活動していたのが重信房子です。

その容姿から、重信房子の行方を追う公安の中にさえ、隠れファンがいたという噂もあります。

国内で重信房子の行方を徹底的に探っていた極秘捜査官たちによって逮捕された重信房子ですが、現在も生存しています。

そこで今回は、日本赤軍のトップであった重信房子の生い立ちから現在までをリサーチします!

 

重信房子 生い立ちから日本赤軍設立

重信房子は、4人兄弟の次女として生まれました。

父親の重信末夫氏が、右翼団体の門下生だったこともあり、その父親の影響を強く受けて育ったようです。

少女時代は「小さな親切運動」に熱心に取り組み表彰を受けたり、文学少女でもあった房子。

東京都立第一商業高等学校を卒業し、キッコーマンで働きながら明治大学文学部の夜間部に通い、史学地理学科を学んでいた重信は、教師を目指していたと言います。

しかしこの頃、世は学生運動で盛り上がっていた時代でした。

重信自身も学生運動を通じ、共産主義者同盟に加入します。

“世界を変えるには、戦うことが唯一の道を切り開く手段かもしれない”

こんな思想にのめり込み始めた重信は、「共産主義者同盟日本赤軍派」の創立メンバーとして参加することになりました。

世界的な革命を起こすという思想のもと、重信はパレスチナへと活動拠点を移します。

ここで「日本赤軍」を正式に設立、重信はその最高指導者となりました。

その後日本赤軍は、1970年代から、パレスチナの極左過激派と連携し、一連のハイジャックや空港内での乱射事件などを起こします。

結果的に多数の民間人も巻き込む結果となったため、世界各国から非難の的となってしまったのです。

 

重信房子 逮捕から現在

重信房子は「ハーグ事件」(日本赤軍がフランス当局に逮捕されたメンバーを奪還するために、オランダのハーグで起こしたフランス大使館占拠事件)への関与で国際指名手配を受けたものの、逃亡を続けていました。

その後、偽装旅券を使って日本に戻り、しばらくは大阪市のマンションに身を潜めていましたが、2000年、大阪府警警備部公安第三課により逮捕されます。

逮捕の決め手となったのは、特有のタバコの吸い方。

重信はキセルを使ってタバコを吸っていたそうです。

公安は、重信が飲んだコーヒーカップから指紋を採取し、指紋の一致という物的証拠から逮捕に踏み切り、その後、会社社長、教諭、医師、病院職員が次々に重信をかくまっていたことで検挙されました。

2001年には、日本赤軍の解散を獄中から発表。

2009年には、初めて産経新聞のインタビューに答え、

「世界を変えるといい気になっていた」

と語った一方で、

「運動が行き詰ったとき、武装闘争に走った。

世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。

私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」

と自責の念にも駆られていたとも述べています。

現在、71歳になった重信は2008年に大腸がんが見つかり、八王子医療刑務所に服役中です。

手術で癌は摘出したものの、経過を考慮し、現在も抗がん剤治療を続けているそうです。

また、2004年には心臓発作を複数回起こし、突然死の恐れもある拡張型心筋症と診断されています。

現在は車椅子での生活という重信房子。

偏った視点で活動家への道を進んだ重信には、ネット社会となった現在はどう映っているのでしょうか?

様々な情報が得られる現代では、自らが真実を見極めていくことが本当に大事なのだと感じました。

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