「エル・クラン」アルゼンチンの家族ぐるみ誘拐ビジネスが異様すぎる!

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2015年にアルゼンチンで公開された映画「エル・クラン」をご存知ですか?

ヴェネチア国際映画祭で、最もすばらしい監督に贈られる銀獅子賞を勝ち取った映画ですが、そこに描かれているのは、アルゼンチンで実際に起こったこわ~いあるエリート一家の逮捕事件。

日本ではあまり知られていませんが、誘拐をビジネスとして、それも家族ぐるみで行っていたということで、アルゼンチンでは100%認知されているという有名な事件です。

そこで今回は、「エル・クラン」のあらすじや時代背景、監督のこだわり、そして驚きの真実などをリサーチします!

 

誘拐ビジネスを題材にした「エル・クラン」のあらすじ

1970年代後半のアルゼンチンは、軍事独裁政権に支配されていました。

そこから数年。

「エル・クラン」はそんな軍事政権が崩壊し、少しずつ民主政治を取り戻しつつある時代に起きた「実話」が元になっています。

物語に登場するのは、一見裕福そうな家庭、プッチオ家

政府の情報管理者だった父・アルキメデスは、マルビーナス戦争で政府がイギリスに破れたことで、職を失います。

そこで、軍事政権の申し子だった父が思いついたのは、誘拐をビジネスとすることでした。

というのも、軍事政権時代、政府は革新的な動きをする人々や学生を誘拐して自分の子としたり、命を奪っていたのです。

その数、三万にも上ると言われていますが、そんな政府のやり方から抜けきれなかった父・アルキメデスは、ある日、長男・アレハンドロの目の前で息子の友人を誘拐します。

誘拐された友人は、プッチオ家に特別に作られた監禁部屋に閉じ込められ、身代金を取るため手紙を書かせられます。

結果、アルキメデスは多くの身代金を得ることができましたが、翌日、アレハンドロは友人が亡くなったことを知ります。

その理由を父に問いただしたアレハンドロ。すると父は、人質に逆に脅され、家族を守るため仕方なかったと告げるのでした。

その後も、誘拐ビジネスへの協力を強いられるアレハンドロですが、恋人・モニカとの将来を考え、父親に誘拐ビジネスから手をひきたいと伝えます。

しかし、そこから少しずつ、プッチオ家の歯車が狂い始めるのでした。

 

「エル・クラン」アルゼンチンの時代背景や監督のこだわり

映画「エル・クラン」の舞台は、アルゼンチンが軍事独裁から民主制へと移行していく80年代前半です。

それまでにも、何度となく軍事政権は繰り返されていたわけですが、この時ほど政府のやり方が残忍だったことはなく、アルゼンチンの闇ともいわれている理由です。

この映画の監督、パブロ・トラペロは、この事件を自分が10代前半に知り、家の中に誘拐の人質がいること、家族全員が誘拐ビジネスに加担していたことにひどく不条理さを覚えたと言います。

そして作られたこの映画。

多くのシーンを実際にその事件が起きた場所で撮影されています。

また、実際にプッチオ家の人達を知る人々にも話を聞き、それが映画にも生かされているそう。

ちなみに「エル・クラン」とは一族、家族という意味。

残忍な事件であると同時に、異様な家族のつながりも描いた作品なのです。

 

驚くばかりの真実

私自身、この映画は見ていませんが、とても興味のある内容です。

父親が家族を「守る」ために誘拐ビジネスに手を染めた…と言えば、少しは聞こえはいいですが、軍事政権時代に仕事の一つとして行っていた誘拐を生計をたてるためにやり続けてしまつたわけです。

それも、人の命を奪って…。

最後に誘拐した人物が政治家だったことで、警察も血眼になり、結果逮捕されたプッチオ家。

しかし、それまでの間、家の中で人質の叫び声、悲鳴が聞こえても、素知らぬ顔で生活をしていたことを考えると、本当に罪は重いですよね。

調べてみて驚いたのは、父・アルキメデスは終身刑を言い渡されながらも、20年ちょっとで刑務所を出ることができたということ。

そればかりか、弁護士資格を取り、若い女性と結婚も果たしたとか。

人の命を何人も奪っておきながら、このような生活が許されるとは、国が違えばここまで犯罪に寛大なのでしょうか。

息子・アレハンドロも実際の取材では、周囲の人に大変人望もあったそうですが、誘拐予定者をリスト化したノートを父に渡していたそうで、そのノートの中にはアレハンドロのことをよく言っていた周りの人々の名前もあったそうです。

それほどまでに、息子の心を追い込んでいた父親の罪は大きいですよね。

なぜ20数年で刑を終えられたのか、何か裏があるのではないかと疑わずにはいられません。

このようなことが2度と起こらないような世の中になってくれることを願います。

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